2014年12月14日日曜日

 竹林間伐・炭焼き
体験記

                                                                                                          受講生 井口 恵子

126日、東青梅駅を降り、バスで20分ほど黒沢川沿いを上り小曾木診療所前で降りると、畑は一面霜、霜柱がニョキニョキと立つ景色でした。うわさどおり、青梅は寒い!
今日は竹炭作り体験の予定で、朝から竹炭を持って帰れるのかとみんな楽しみにしていました。私は朝から腰が痛く、竹の切り出しが少々不安です。切り倒す作業は男性にお任せし、枝払いや玉切りをしましたが、思ったよりも力が要り、切り終わった後は腕がぶるぶる震えました。
竹は不思議な植物です。イネ科の植物なのに木のように茎が硬くなり、丈は10mを超えます。しかし、木のように毎年成長するわけではなく、一年であっという間にこの大きさになります。若い竹と古い竹は節が白いか黒いかで見分けるそうです。
 
竹炭作りは非常に面白い作業でした。切り出した竹を縦に八つ割りにし、炭焼き窯の中にきれいに並べます。窯の入り口のまわりをブロックで固め、窯とブロックの間を水で溶いたねん土で埋めて、空気を遮断します。入り口に置いた枝やおが屑に火をつけてふたを閉め、蒸し焼きにします。しばらくすると後ろの煙突からけむりが出てきます。このけむりの色によって炭のでき具合を判断します。けむりを冷却して取れる竹酢液は消毒、殺菌、防虫効果に優れた便利なものです。竹ってすごい!
 
竹炭ができる間、みんな竹細工に夢中でした。竹は中空で節がある。この変わった形状が想像力をかき立てるのか、ご指導がすばらしいのか、色々な作品ができていました。私も花びんを作り(作ってもらい?)ました。薄緑の薔薇の花と絶妙に合いました。
青梅市みどりと水のふれあい事業推進協会の方たちが、お昼に豚汁を作って下さり、寒さで緊張していたのが一気にほぐれました。竹笛や木の実アートなども作らせていただき、とても楽しい一日になりました。ありがとうございました。

2014年12月10日水曜日

第4回森林ボランティア育成講座(H26.12.6)
『竹林間伐と炭焼き講座』 

                                                      管理人

 
 朝7時、今年一番の寒さかと温度計を見ると氷点下3度。今日は恒例の竹林間伐と炭焼き体験である。道具を車に積み込み、一路集合場所へ。
 なんと、霜で凍りついたような駐車場の景色には閉口した。ただちに日の当たっている場所に逃げ、日向のありがたさが身に染みた。

 予定した会員も定刻には揃い、受講生もこの厳寒の中、徐々に集まってきた。
 早速、班編成、準備運動をこなし、会員所有の竹林へ移動。いよいよ竹林間伐の開始である。隣地の竹林との比較も一目でわかるほど林内が明るく整備されてきている。

 受講生も一人一本づつは伐採、枝払い、玉切し、林内のところどころへ集積した。いよいよ炭焼き体験である。炭材料を担いで運搬車両へ、そして簡易炭窯へ移動し炭材づくりである。青木会長の指導で手際よく窯詰めも終了し無事点火へと進んだ。
 お蔭で、昼食までの時間を竹細工に向けることができ、花瓶など 竹細工に挑戦され、お土産が増えたようである。
 今朝の寒さは、昼時になってもあまり変わらず、炭焼き窯周辺の霜柱も解けずにあった。

 誰も風邪をひかないことを願う厳寒の中の体験講座であった。
 

2014年11月13日木曜日

(H26.11.1~2)
第47回青梅産業観光まつりへの出展報告


管理人

伝統産業展への出展の様子
伝統産業展の変遷は、当初は青梅木材協同組合が中心となり出展しておりましたが、諸般の事情で組合組織を任意団体「青梅杣保会」に止む無く変更したため、その後平成14年に広域合併(3市2町1村の各森林組合)した東京都森林組合がその一翼を担う事になり、青梅りんけんが企画運営を委託され今日に至っております。
木の文化(林業・製材業・建築業)を主体とする伝統産業も、避けて通れない地球温暖化問題の浮上とともに、森林や木材に対する期待がますます高まってきております。

(協力団体:西多摩北部建設組合・上成木ふれあいの森・森守会)
テ-マ「人と森との共生を目指して」
*アンケ-トクイズパネルの展示(木材の効能)
*木工コ-ナ-(丸太切挑戦・檜の枝でマイ・ストラップづくり・竹細工による干支づくり・風車ほか)
*シュロの葉のバッタづくり他

2014年10月19日日曜日

木の生き方
(第3回ボランティア育成講座体験記)
                                 

                                                受講生 井口恵子

10月11日に訪れた多摩木材センターには、何千本もの丸太が整然と並べられていました。その切り口(小口)は杉も檜もみな、中心部が赤く周縁部は白っぽく、バームクーヘンのような小口を想像していた私には不思議な光景でした。
 
 多摩木材センターとその後に見学した浜中製材所で木について色々な説明を受け、私たち人類よりずっと長い間、地球上に立ち続けてきた木の神秘に少し触れることができました。
 木の中心部の赤い部分は心材(赤身)、周縁部の白っぽい部分は辺材(白太シラタ)と呼ばれます。心材にも辺材にもびっしりと年輪が刻まれ、木が生きてきた長い年月を計り知ることができます。
 白太は水分や栄養分を通すパイプの役割を果たす柔らかい生きた組織です。浜中製材所で触らせてもらった製材したての板はしっとりとぬれていました。赤身は、辺材が変質して細胞が死んだ硬い組織です。
辺材には、生きた細胞が含まれていて、デンプンや脂肪など栄養分が貯蔵されていることが多いため、菌や害虫に侵されやすくなります。一方、心材には木の香りや色のもとになる成分が存在するため、辺材より強いそうです。

 木は成長するにつれて赤身の部分が増えます。赤身で木を支え、白太で水を吸い上げることで、大きく成長することができます。
 節のない木は山主さんが枝打ちの手間をかけたものですが、赤身に節がなくなるまで育てるには40~50年かかるそうです。
 木は光合成をすることで、二酸化炭素を吸収し、地球上に酸素を供給してくれます。葉で雨を受け、幹をつたった水が大量に土壌に染み込むことで私たちに水を供給してくれます。
 木の神秘を感じるとともに、森林を守っていくことを自分だけでなく若い世代にも伝えたいと思う一日でした。
                                 

2014年10月18日土曜日

第49回全国木材産業振興大会に参加して
(2014年10月15日 有楽町国際フォーラム ホールC)

               
                                               会員 楢島 安

【挨拶や祝辞で話されていたこと】
・2020年オリンピックに向けて新しい木材需要の拡大と、そのために各団体と密な関係を構築する
・ 国による木材活用施策の活用と理解の向上。
・木材利用ポイント事業、木造公共施設の建築促進対策、地域型住宅ブランド化事情(2万社を支援) など
・1950年代以降の街づくりにおける非木質系の推進から、現在の木質系資材の積極的な利用への変化。温暖化防止や地域社会の活性化など時代の移り変わりが起こっている。街中における森林形成(第二の森林)。大規模木造建築の基準見直しと推進。
・40%森林が占めている東京の森林資源の積極的な利用。戦後の植林したものは使用時期に達している。
⇒上記ようなことを皆さん話されており、木材事業に関するテーマ・問題点は共通してことの表れと思いました。



【記念講演 百田尚樹氏 「日本人の誇り」】
最近特に注目されている作家の一人ですので期待して聞きましたが、予想以上に面白くほぼ2時間ありましたがあっという間でした。
*木材について 私は木が大好きです。しかし今の杉と檜のみに特化してしまっている利用はいかがなものかと。なぜこの2種なのか…元をたどればノコギリの使い始めに関係あり、室町時代以前はノコギリが無く板を作る場合は丸太をくさびで割り、その後成形して使用していた。くさびを使用する場合真っ直ぐに割れるこの2種が重宝され今に至る。広葉樹は重く曲がっていて固いので使われなくなった。
*デビュー作「永遠のゼロ」について。 
百田氏の父は大正13年生まれ、叔父叔母も近い世代が多く子供の頃から戦争の話を聞いて育った。しかし最近はそんな話を出来る人がどんどん減っており、祖母祖父父母から戦争時の話を全く聞かなかったと言う人も多い。亡くなってから「どうして聞けなかったのか‥」と悔やむ声を多く聞き、そんな声のかけ橋の一つになれば、次の世代への語り継ぎになれば、との思いがあった。
(そういえば私も父から戦争時の話はさほど詳しく聞かなかった、と今になって少し悔やんでいます。楢島)
*最新作「海賊と呼ばれた男」について。
震災後スランプになり小説が全く書けなかった時にこの話題に触れ「今これを書かなければならない」と言う使命感に駆られて一心不乱に書き上げる。
S28年に起きたにっしょう丸事件についてで当時は大騒ぎになった大事件であったが現在ではほとんど知られていなかった。出光興産創設者の出光佐三は敗戦により会社資産をすべて失いS20年当時60歳を超えていたが2000人いた社員の解雇を一人もせず資材を投げ打って社員に与え会社に留まるように説得して回る。そして日本のみならず世界の常識をひっくり返すような事件を起こし、裁判に勝ちその後の戦後復興に大いに貢献をした。この様な人物がいたおかげで占領軍GHQの報告ではS5年レベルの社会に復興するのに50年掛かる、と当時言われていた日本をわずか20年もかからずにオリンピックを開催し世界でどこにもなった夢の超特急を開通させた。
主人公の様な大正生まれは、特に8~15年生まれの4人に一人の男は戦死したと言われており、そして敗戦後に何もないところから復興に奔走したのもこの世代の人達である。大正生まれ、このもっとも偉大な世代の人達の努力により、日本は世界でも類を見ない豊かな平和な国家を築くことが出来た。このことを少しでも多くの人に伝えたかった。
*  終わってみて・・・大阪弁で笑いを取りながらの講演でしたが、最後のところは熱のこもった迫力のある口調でエンディングでは大きな拍手に包まれました。
以上です。

2014年10月15日水曜日

第3回森林ボランティア育成講座(H26.10.11)
 『原木市場・製材工場・木造建築物の視察報告』
 
管理人
 
今期7期生より新企画の講座を加えた。その背景には、過去の講座で体験してきた森林保全活動中心の視点に、森林の多面的な働きの根幹を支え、共生してきた木材生産の意義、そして消費までの流通を学び、大所高所からの視点を加えることにより、森林のあり方、特に自然素材である木材を生活に生かすことがいかに大切なことか、改めて浮き彫りにする試みでもある。また業界との連携の可能性の模索でもある。

以下、視察先の様子をご報告します。

日程の関係で、最初に公共施設である日出町公民館を視察した。この事業は、公共建築物等における木材利用の促進に関する法律に基づき、積極的に多摩産材利用を促進するための取り組みである。現場は既に、本体工事がほぼ完成状態を視察させていただいた。
 建築基準法のしばりが、自然素材である木材の特性を生かしきれないジレンマを設計に感じた。しかし、大きな一歩踏み出していただいたことには間違いない。ご説明いただいた町の担当者の皆さんに木材利用に取り組んだ日の出町のご英断に敬意と感謝を申し上げ新公民館を後にした。


 次に、念願の多摩木材センタ-の原木市場を視察した。理事長が同会員でもあるため、市日の翌日というご多忙な日にもかかわらず競のベテランの方を案内に配置していただいた。お話の中で、はい積みしてある7割が花粉対策事業(主伐)からの出材で占めているとのこと。また日頃、体験している間伐材の単価までわかりやすく説明いただいた。特に、市場価格から逆算すると育林費用どころか伐採搬出費も厳しい現実を伺った。(受講生改めて溜息)従来の経済行為からの出材は少なく、民需の木材取引の復活を願わざるを得ない。

 続いて、浜中材木店の製材工場の視察である。当社の土場の広さも広大であるにも関わらず、多摩木材センタ-を貯木場に使える好立地条件にあり、多摩地域の中でも屈指の経営者でもある。さらには、モデルハウスまで手がけられ、在来工法の若手職人の育成にも取り組まれている。製材はおろか6次産業化に向けた取り組みに感心した。
 







全体を通じ、自然素材である木材を工業製品化し利用する流れと、自然素材を在来工法で生かして利用する流れを感じた講座であった。今後、地球温暖化問題の中でどちらがどのように進化していくのか大変興味深い時代を迎えている。

「川下から川上を見上げる」
 
木原秋好
 
1011()は、育った木が市場を通して建築材となるまでをたどる初めての講座になりました。川上から川下へ下る間に多くの人の手がかかり、形を変えていく様子を見ることができ、貴重な経験になりました。

この日最後に見学したのは多摩の木をふんだんに使って大工さんが仕上げたモデルハウス、思わず住みたいという気持ちになる無垢の木の家でした。中を案内されてびっくりしたのは、1階から2階へ通した太い柱には縦に一筋「背割り」といわれる溝が彫られていたことです。時間が経つと木が乾いて割れるので、初めから割れる場所を作っておくのだと言います。しかも木は割れても弱くなるわけではない、粘りの強さは変わらないという説明を伺って伝統技術の深さを知りました。

川上へ一つ遡って、こうした木材を作り出す工程を訪ねました。製材所では大きな電動鋸で丸太を挽き角材や板を作りだしていました。挽いたばかりの板は濡れるくらいにしっとりと水を含んでいます。乾くと板の形が変わるので適度に乾燥させるとの解説を聞いて、ここでも木の性質を熟知することがポイントであることを知りました。

もう一つ川上に遡ります。原材料になる丸太は都内でただ一つの木材市場である多摩木材センターからも運ばれてきます。野球場ぐらいの広さの市場は、前日競りがあったばかりで、まだ樹皮がついたままのスギやヒノキの丸太が整然と積まれていました。同じスギでもよく見ると太さや節の数が違い、芯の赤いものや黒いものがあります。そうだ!樹木は11本が違った環境で育っており、鉄やコンクリートのように均一ではないのです。こうした違いを熟知していないと本当の樹木の価値を引き出せません。

日本は木の国と言われてきましたが、こうした樹木についての知識や関心があってのことです。森林を守るには、伝統的な技術や知恵が廃れないようもっと樹木のことを知らなければならないと思いました。

 
第2回森林ボランティア育成講座(H26..8.9永山ふれあいセンタ-&青梅の森にて)
        『間伐・道づくり・休憩所整備』 
                                                             7期生 林 和夫                         


昨日は中身の濃い講座ありがとうございました。
早速ですが、スパイスラックの木工の材料は、さわら::::椹ですね!
思っていたより、皆さん真剣に取り組んでおられることに感心いたしました。
ホームページも拝読いたしました。
青梅にもこんな団体があって、地道に活動を続けられていることに感心いたしました。


昨日の講座の感想以下感じたままに書きます。

(1)午前の部   講師のまとめられた森林保育保全:青梅の森に関してまずは、永山の奥の100haに及ぶ青梅の森の入手のいきさつは、40年青梅から離れておりましたので知りませんでした。正直びっくりでした。
しかしながら、せっかくの財産ですかうまく活用して行かなくてはいけません。そのためには、市全体、都全体、日本全体も視野に入れた地道な活動がいかに大切で困難なことであるか痛感いたしました。
         
森林保育保全の循環の破たんは言われれば解りますがほとんどの人が本質を知らないと思います。
戦後生まれの人達は“花粉の元凶は森林だ!”ぐらいの認識が一般的です。
現在の崩れたピラミッドの再構築は非常に困難な仕事です。
現在の便利な生活文化が続く限り、立て直しは個人の力では不可能です。
しかしながら、いろんな活動を通じて人の考えを変えていかなくてはならないと思います。

私が子供のころは、山一町歩伐採すれば大勢の家族を十分に養えるだけの価値と収入がありました。
高々50年のうちの日本高度成長の陰で山林は全くあてにされず、重荷の存在になってきてしまっている現実の中、補助金たよりの山林管理(?)になってしまっていることは全く残念でなりません。
講師の温厚な語り口の講義に、大変なる危機感と何とか少しでも改善して行こうとする熱意に感動いたしました。頑張りましょう!

(2)午後の作業
意識の変革はここから始まりますって感じでした。
私の父は現在住んでいる場所で昭和23年に戦地から戻ってから製材と伐採切り出し植林の仕事を始めました。
子供のころから、薪まるき、皮むき、植林、雪おこし、玉とり(毎木調査)等 いろんな仕事を手伝わされました。そのころを思い出すような作業に、なんとも懐かしい郷愁を感じました。
地道な作業を習得して行くことが森をもっと身近に感じる一歩だと思いました。
最後の道具の養生をキチンと皆さんにしてもらうことこれがとっても大切なことと当たり前のことですが感心しました。                                             ありがとうございました


(当日は、台風11号の影響で、午前中は座学と木工となりましたが、午後は計画していた間伐・道づくり・看板立て・休憩所整備と各班のチ-ムワ-ク力で短時間に大きな成果を得ることが出来ました。)

2014年8月6日水曜日

青梅りんけんOBからの投稿
「所有者不明の山林 国が対策を!!」
管理人


国土保全に警鐘を鳴らす記事が投稿された。
これは全国的に進んでいる身近な森林の現状である。
今の木材価格では、営々と循環してきた森林林業を持続することは困難であり、見切りをつけざるを得ない状況にある。
2代3代と受け継いで育ててきた育林費用の回収どころか、再造林する費用すら捻出できないのである。
経営破たんという事象としてとらえるにはあまりに短絡的であり、環境問題に密接に連鎖しており、大きな痛手となってきている。
ましてや、治山治水に代表される森林の機能に寄せる国民の期待とは逆行している状況に危惧を抱かざるを得ない。
我々のボランティア活動も、森林保全への取り組みから地域に根差した担い手としての存在が求められている。

2014年7月15日火曜日


平成26年度(H26.7.10)

関東・山梨ブロック林業グルプコンク-ル報告
 

管理人 

東京都林業研究グル-プ連絡協議会の主催当番で関東・山梨ブロック林業グルプコンク-ルが昭島昭和館フォレストインで開催されました。

台風8号の襲来が心配される中、1都7県から8つの発表グル-プが参加し、熱のこもった発表が続き、審査の結果、山梨県「あすなろ林業研究グル-プ」が全国大会への出場権を得ました。
 
 
我々が所属する東京都林業研究グル-プ連絡協議会からは檜原村「やまびこ会」が発表者としてご健闘いただきましたが惜しくも逃しました。お疲れ様でした。
 
 
全国大会への出場権を手中にしたあすなろ林業研究グル-プの主な活動内容は、全国各地の山村と同様、人口減少や高齢化の、自然災害による孤立化といった課題を「山奥だからできない」ではなく「山奥だからできること」を目標に、はちみつの特産化、南アルプスの登山道整備、地域の森林整備に係る活動、広報誌「はやかわ」の発行等継続した地域特性を活かした調和のとれた幅の広い活動が認められたものと推測します。全国大会のご検討をお祈りします。

 
結びに、主催側として準備に、加えて台風対応に奔走頂いた関係者の皆様に敬意と感謝を申し上げます。

法人化10周年 

NPO青梅りんけん通常総会報告(H26.7.5)

管理人

平成16年に、NPO化し個人からグル-プへ、そして地域への輪をさらに広げるために通称名「NPO青梅りんけん」として再スタ-トし、10周年の総会を迎えました。
当初は、林業後継者を中心に任意団体「青梅りんけん」の名称で平成7年に結成し、今日に至っておりますが、会員の職業も裾野が広がり、文字通り地域との連携へと進化しつつあります。
そんな時を得た記念すべき総会には、旧青梅市森林組合当時から陰に陽にお世話になりました歴代事務局長や関係機関のご来賓のご出席のもとに、総会そして懇親会と盛会のうちに開催されました。
ご来賓の挨拶から森林をとりまく環境の変化への対応が求められていることなど、青木理事長はじめ会員一同、自覚と行動を肌で感じたひと時でもありました。

2014年6月14日土曜日

 第7期 

森林ボランティア育成講座「開講式」 H26.6.14(土)


  管理人
 
小康状態で降り続いた雨もすっかり上がり、今期も杉並区より15名、市内より15名をお迎えし総勢30名の第7期森林ボランティア育成講座の開校式を迎えることが出来た。
 
 
特に、今回の杉並区からの受講生にはリベンジ組(2年間待ち望み)が多いことを自己紹介を通じ知り、森林ボランティアに対する姿勢に熱いものを改めて感じた。
 
 
 
 

青梅りんけんが12年間続いている事業として「初心忘れずべからず」と問われていると感じたのは私だけであろうか。
 
 
 
 

 
 
 地球温暖化問題、原子力エネルギ-問題など、森林をとりまく環境の中、人として森林に期待する意味合いが年々深まってきていることを感じざるを得ないと共に、NPO化して10年を迎えるにふさわしい開講式でもあった。

 
 
 
 これから2年間で12回の講座がさらに中身ある講座にするために、後継者の育成はもとより受講生と真摯に向き合っていきたいと感じた日であった。
 
 
 

 

2014年6月9日月曜日


第47回東京都林業研究グル-プ連絡協議会
 通常総会開催される!

輪番で開催されております東京都林業研究グル-プ連絡協議会(通称;都りんけん)の総会が6月7日青梅の地で盛大に開催されました。

総会の運営はもとより開催地りんけんグル-プが地域性を踏まえ、視察や講演を織り込みながら親睦を深める大事な行事です。

関東・甲信、北陸地方の梅雨入りが発表された6月5日以降、小康状態にある雨も予報通りとなってしまいました。講堂(東京都農林総合研究センタ-青梅庁舎)での総会も我が青木理事長の議長役で円滑に進み、原案通りすべて承認されましたが、雨で視察(採穂園・花粉対策事業の貯木場)が危ぶまれました。

しかし、計画した庁舎内での「少花粉すぎ・ひのき採穂園」の視察は、講堂でパワ--ポイントによる主任研究員の講義に急遽変更していただき開催され、研究成果や苗木生産の現状など詳しく説明いただきました。

その後、隣接する花粉対策主伐事業により搬出された丸太の貯木場に会場を移し、管理者より説明を受けました。お話によると、H18より開始されたこの主伐事業は現在 面積で556a 搬出材積123,796㎥で、約52が多摩木材センタ-へ、13%が合板用へ、残り35%がチップに販売されているとのことです。

晴天時の貯木場

27は当初計画の最終事業年度の10年目を迎え、当事業の総括を森林林業の持続的発展に繫げなくてはならないと感じながら懇親会会場へと移動しました。
結びに、ご出席いただいたご来賓の皆さま、単位りんけん各位、そして事務局に感謝を申しあげます。


2014年3月15日土曜日

閉講式に参加して(H26.3.8)
                                               会員 神棒

 
講座参加の6期生、担当職員、りんけん会員で講座の意見交換を主体に閉講式が開催されました。
『楽しかった』、『皆勤賞だった』または『都合がつかなくて残念だった』や『山の見方が変わった』、『女性の力がすごかった!』など前向きな感想を頂きました。
今後についての意見は、『講座参加の経験を、活かして次のステップへ』や『森守会参加』、『何れは自分の山』などでした。
未来に向けた取り組みは『ランドスケープデザイン』、『森林オフセット』等から、子供の遊びの中で森林教育をしたり、小中学生の授業へ広げたい、森林オフセットへの期待、青梅の森を図面化、小班化して道を作る等もありました。
都会で暮らす人と、里や山で暮らす人が双方向で理解し参加し合える場所や、繋がりとしてのSNS等の活用や、生きた情報交換等の場所も必要で大事な事など、書ききれない程沢山の意見が出されました。有り難うございました。
(受講生が裏面にサインした記念看板)

僕個人としては、『それはちがいます!』ではなく『こうしたら出来ますよ!』と出来る方法を伝えられる要に努力します。
森林ボランティア育成講座6期生の皆様、森守会の皆様担当者皆様、関係者皆様、2年間お疲れ様でした、また山で会いましょう、有り難うございました。

2014年2月23日日曜日

多摩工業高校インターンシップ報告(H26.2.5-6)
 
 
今回は、学校側の要望により受け入れ日程が恒例の12月から翌年の2月に変更となった。

当日は、当初から心配されていた降雪が前日にあり、除雪作業も加わり受け入れ対応に苦慮した。


定刻には、予定された20名の兵達が集合したものの、積雪のため予定を変更し、午前中は座学から事業を開始した。
午後からは、各班に分かれ計画していた青梅の森に会場を移し、道づくり、間伐作業に汗を流した。






                      生徒たちは、雪が溶けてしみ込んだ靴と、厳しい寒さの中で、初めての作業に挑戦した。


指導者の指示に戸惑いながらも2日間、森林での作業を体験し無事に終了することができた。



自然の中では力づくでの対応が通用しないこと、危険と隣合わせであることを体で感じとってもらえれば幸いである。

2014年1月19日日曜日

第11回森林ボランティア育成講座(H26.1.11市有林黒仁田山林にて)

 『枝打ち』に参加して
                                                6期生 新海
 
 第6回青梅森林ボランティア育成講座に参加させて戴き2年が過ぎあと1回で終了となりました。
私は定年退職になったのをきっかけに以前から興味を持っていた森林保全の本講座に参加しました。
 講座は「NPO青梅りんけん」の方々の指導のもと「森守会」(本講座の卒業生によるサークル)のサポートも受けて、山仕事の一から丁寧に教えて戴きました。山仕事は初めての経験でしたが青梅りんけんの方々のユーモアあふれる会話と親切なご指導ですぐに講座に打ち解けることができ、毎回大変楽しく参加させて戴くことができました。

 私は山が好きで以前より山歩きはしておりましたが、
 私はこの講座に入った時、スパイク付きの地下足袋を購入したのですが、山仕事にはこれでないとだめだとすぐにわかりました。
 この2年間、講座の中でいろいろな山仕事のさわり(基礎)を経験させて戴きました。下草刈り 、間伐、枝刈り、林道作り、木道作り、炭焼き、どの作業も作業ごとに季節にあった時期というものがあり、最適な時期にそれぞれの作業が行われていることがわかりました。 山仕事は肉体的にきつい仕事ですし、危険を伴う仕事であることも身をもってわかりました。
 一方、山に身を置くことでなんとも言えない心地よさというか心の平穏を得ることができました。それは日頃より人ごみにまみれて生活しているストレス社会から解放される心地よい世界でした。山仕事をしている時は日常のことはすべて忘れて山仕事に没頭しているということでもないのですが、油断すると大きなケガや事故につながるという緊張感の中でその時々の作業に集中していたと思います。

 この2年間の経験をもとに、これからも体力が続く限り森の仕事を続けていければと思います。
 有り難うございました。
山仕事は登山とは全然違うということが最初の講座の時にわかりました。それは登山は道がありますが山仕事には道がない斜面で仕事をしなければならないということでした。



 
                                                     6期生 nyago

 参加する前は、2年も続けられるのだろうか、と心配にも思った森林ボランティア講座も、実技の講座は今回で最後となってしまいました。今ではすっかり森林の魅力にハマっています。出かけた先でも、つい林に目がいってしまい、間伐した方がいいのに…などと思うようになりました。
 今回は一年前にも来た、黒仁田山林での枝打ち作業でした。
この、同じ現場に二度来ることができる、という、森林ボランティア講座のプログラムは、とてもいいと思います。

 昨年自分達が作業した形跡を確認する事が出来ますし、どういったところで何をするのか分かっているので、落ち着いて作業できます。
一年前に皆で力を合わせて作った橋は無事で、立派に役にたっていたので、嬉しく思いました。
 枝打ちは、一年前にも思いましたが、やっぱりとても面白いです。枝が落ちるごとに、林に日光が射し込んで、明るくなっていきました。
 枝打ち作業の後、梯子作りをしました。
とても簡単なつくりに見える梯子にも、様々な工夫がされていて、良くできているのだと感心しました。作っている時はあまり気にしないかもしれないが、これを適当に作ってしまうと命取りになる、と伺い、改めて、自然と向き合う厳しさを実感しました。


                                                    6期生  泉 

育成講座2度目の一番寒さ厳しい季節が巡ってきた。
この日も青梅の天気は良く、空気はキンと冷えた朝だった。

実習内容は黒仁田山林での枝打ちと梯子作り。いつもの駐車場で
集合し、マイクロバスに乗り込む。
私はいつも地下足袋を履くのに時間がかかるので15分前には集合場所に到着
するつもりだった・・・が、この日に限って朝寝坊。一瞬目覚まし時計の針を疑った。
しかし、ここからがやってみるものだ。
大急ぎで支度をして飛び出したら何とかマイクロバスには間に合いまずは一安心。
こうして無事皆さんと共に黒仁田山林に到着した。

朝の山林の大部分は日陰である。
真冬の寒さも手伝ってじっとしていられないほどだったが、これも2年目の余裕かどこか清々しい気持ちだった。地下足袋を履く前に靴下の上から足の甲にカイロを貼った。これも1年目の体験から学んだ対策である。
まずは青梅りんけんの方から今日の作業内容を伺い、準備体操を行う。寒さで体の節々が固まっているのがよくわかり、ゆっくり念入りに体を動かした。
いよいよ梯子を担いで山に入る。
同じ場所のはずなのに、昨年より山の斜面がきつく感じたのはきっと今朝の寝坊で体力的にベストな状態で臨んでいないことが災いしていると反省。何とか作業場所に辿り着き、いよいよ枝打ちの準備。まずはりんけんの方のデモンストレーションを見学した。
あっという間に高いところまで上り、木の幹からぐるり一周横に張り出した細い枝を
鋸を右手、左手に持ち替えてどんどん落としてゆく様は自分でもすぐに出来そうな
錯覚に陥ってしまうほど簡単そうに見えたが実際やってみるとまったく違った。
利き腕でない左で鋸を引く難しさもあるし、直径4~5cmでも真冬の乾燥した枝1本を
切り落とすのは意外と時間がかかった。

山林に生えているのは主にヒノキだったが、ヒノキの場合、枝の付け根には平らなこぶがあり、
切るときはそのこぶのつらで切り落とす(スギの場合はこぶがないので幹のつらで切り落とすのだそう)ということも教えていただきまた一つ新しい知識が増えた。
梯子よりもさらに上に上っていく場合には仮の足場となる枝を先に切り落とさないように、切る枝の順番を考える必要もあるし、切り落とした枝の跳ね返りが顔に直撃する危険性にも気をつけなければならないことも学んだ。
枝を落とすことだけについ集中しがちになるとそれ以外のことに気が回らなくなるのは実際にやってみるとよくわかった。

そんな中、ある枝を切っている最中に足をかけていた梯子の横木が外れるアクシデントに遭った。
幸い幹に抱きつきながら枝を切っていたので怪我はなかったが、作業中は本当に何が起こるかわからない怖さも今後作業する上での教訓になった。
壊してしまった梯子にの応急処置をりんけんの方が行って下さった。
始めは近くで採ったツルを紐代わりにしてみたが残念ながら強度がなく、次の手は鉈を腰に巻きつける時の紐の利用。一見何もない!と焦ってしまう山林の中でこうしたトラブルに冷静に対処できるりんけんの方の知恵と引き出しの多さに感激。
おかげさまでこうして二人一組で枝打ち作業を続け、10本くらいはこなせただろうか。終わりの頃には左手で鋸を引くことにも少し慣れた気がした。

昼食は少しでも日の当たる斜面を求め更に上へ上へと登った。そんな自分も動物だなぁとつくづく思った。昼食後も1時間ほど枝打ちを続け、最後に梯子作りを体験した。
先ほど自分が壊してしまった梯子は他の方が直してくださり一安心。
私は新しい梯子作りに参加したが、なかなか釘がうまく打ち込めずここでも一苦労だった。
金槌は力で叩くものではないのは頭で理解できても、釘の頭になかなかヒットしない。
そして結局気がつけば力を込めて夢中で叩いていた・・・。

無事にその日の全作業が終了し帰途に着いた。
次はとうとう閉講式。ここまであっという間だった。
晴れの最後はどうか寝坊しませんように・・・。