2014年10月19日日曜日

木の生き方
(第3回ボランティア育成講座体験記)
                                 

                                                受講生 井口恵子

10月11日に訪れた多摩木材センターには、何千本もの丸太が整然と並べられていました。その切り口(小口)は杉も檜もみな、中心部が赤く周縁部は白っぽく、バームクーヘンのような小口を想像していた私には不思議な光景でした。
 
 多摩木材センターとその後に見学した浜中製材所で木について色々な説明を受け、私たち人類よりずっと長い間、地球上に立ち続けてきた木の神秘に少し触れることができました。
 木の中心部の赤い部分は心材(赤身)、周縁部の白っぽい部分は辺材(白太シラタ)と呼ばれます。心材にも辺材にもびっしりと年輪が刻まれ、木が生きてきた長い年月を計り知ることができます。
 白太は水分や栄養分を通すパイプの役割を果たす柔らかい生きた組織です。浜中製材所で触らせてもらった製材したての板はしっとりとぬれていました。赤身は、辺材が変質して細胞が死んだ硬い組織です。
辺材には、生きた細胞が含まれていて、デンプンや脂肪など栄養分が貯蔵されていることが多いため、菌や害虫に侵されやすくなります。一方、心材には木の香りや色のもとになる成分が存在するため、辺材より強いそうです。

 木は成長するにつれて赤身の部分が増えます。赤身で木を支え、白太で水を吸い上げることで、大きく成長することができます。
 節のない木は山主さんが枝打ちの手間をかけたものですが、赤身に節がなくなるまで育てるには40~50年かかるそうです。
 木は光合成をすることで、二酸化炭素を吸収し、地球上に酸素を供給してくれます。葉で雨を受け、幹をつたった水が大量に土壌に染み込むことで私たちに水を供給してくれます。
 木の神秘を感じるとともに、森林を守っていくことを自分だけでなく若い世代にも伝えたいと思う一日でした。
                                 

2014年10月18日土曜日

第49回全国木材産業振興大会に参加して
(2014年10月15日 有楽町国際フォーラム ホールC)

               
                                               会員 楢島 安

【挨拶や祝辞で話されていたこと】
・2020年オリンピックに向けて新しい木材需要の拡大と、そのために各団体と密な関係を構築する
・ 国による木材活用施策の活用と理解の向上。
・木材利用ポイント事業、木造公共施設の建築促進対策、地域型住宅ブランド化事情(2万社を支援) など
・1950年代以降の街づくりにおける非木質系の推進から、現在の木質系資材の積極的な利用への変化。温暖化防止や地域社会の活性化など時代の移り変わりが起こっている。街中における森林形成(第二の森林)。大規模木造建築の基準見直しと推進。
・40%森林が占めている東京の森林資源の積極的な利用。戦後の植林したものは使用時期に達している。
⇒上記ようなことを皆さん話されており、木材事業に関するテーマ・問題点は共通してことの表れと思いました。



【記念講演 百田尚樹氏 「日本人の誇り」】
最近特に注目されている作家の一人ですので期待して聞きましたが、予想以上に面白くほぼ2時間ありましたがあっという間でした。
*木材について 私は木が大好きです。しかし今の杉と檜のみに特化してしまっている利用はいかがなものかと。なぜこの2種なのか…元をたどればノコギリの使い始めに関係あり、室町時代以前はノコギリが無く板を作る場合は丸太をくさびで割り、その後成形して使用していた。くさびを使用する場合真っ直ぐに割れるこの2種が重宝され今に至る。広葉樹は重く曲がっていて固いので使われなくなった。
*デビュー作「永遠のゼロ」について。 
百田氏の父は大正13年生まれ、叔父叔母も近い世代が多く子供の頃から戦争の話を聞いて育った。しかし最近はそんな話を出来る人がどんどん減っており、祖母祖父父母から戦争時の話を全く聞かなかったと言う人も多い。亡くなってから「どうして聞けなかったのか‥」と悔やむ声を多く聞き、そんな声のかけ橋の一つになれば、次の世代への語り継ぎになれば、との思いがあった。
(そういえば私も父から戦争時の話はさほど詳しく聞かなかった、と今になって少し悔やんでいます。楢島)
*最新作「海賊と呼ばれた男」について。
震災後スランプになり小説が全く書けなかった時にこの話題に触れ「今これを書かなければならない」と言う使命感に駆られて一心不乱に書き上げる。
S28年に起きたにっしょう丸事件についてで当時は大騒ぎになった大事件であったが現在ではほとんど知られていなかった。出光興産創設者の出光佐三は敗戦により会社資産をすべて失いS20年当時60歳を超えていたが2000人いた社員の解雇を一人もせず資材を投げ打って社員に与え会社に留まるように説得して回る。そして日本のみならず世界の常識をひっくり返すような事件を起こし、裁判に勝ちその後の戦後復興に大いに貢献をした。この様な人物がいたおかげで占領軍GHQの報告ではS5年レベルの社会に復興するのに50年掛かる、と当時言われていた日本をわずか20年もかからずにオリンピックを開催し世界でどこにもなった夢の超特急を開通させた。
主人公の様な大正生まれは、特に8~15年生まれの4人に一人の男は戦死したと言われており、そして敗戦後に何もないところから復興に奔走したのもこの世代の人達である。大正生まれ、このもっとも偉大な世代の人達の努力により、日本は世界でも類を見ない豊かな平和な国家を築くことが出来た。このことを少しでも多くの人に伝えたかった。
*  終わってみて・・・大阪弁で笑いを取りながらの講演でしたが、最後のところは熱のこもった迫力のある口調でエンディングでは大きな拍手に包まれました。
以上です。

2014年10月15日水曜日

第3回森林ボランティア育成講座(H26.10.11)
 『原木市場・製材工場・木造建築物の視察報告』
 
管理人
 
今期7期生より新企画の講座を加えた。その背景には、過去の講座で体験してきた森林保全活動中心の視点に、森林の多面的な働きの根幹を支え、共生してきた木材生産の意義、そして消費までの流通を学び、大所高所からの視点を加えることにより、森林のあり方、特に自然素材である木材を生活に生かすことがいかに大切なことか、改めて浮き彫りにする試みでもある。また業界との連携の可能性の模索でもある。

以下、視察先の様子をご報告します。

日程の関係で、最初に公共施設である日出町公民館を視察した。この事業は、公共建築物等における木材利用の促進に関する法律に基づき、積極的に多摩産材利用を促進するための取り組みである。現場は既に、本体工事がほぼ完成状態を視察させていただいた。
 建築基準法のしばりが、自然素材である木材の特性を生かしきれないジレンマを設計に感じた。しかし、大きな一歩踏み出していただいたことには間違いない。ご説明いただいた町の担当者の皆さんに木材利用に取り組んだ日の出町のご英断に敬意と感謝を申し上げ新公民館を後にした。


 次に、念願の多摩木材センタ-の原木市場を視察した。理事長が同会員でもあるため、市日の翌日というご多忙な日にもかかわらず競のベテランの方を案内に配置していただいた。お話の中で、はい積みしてある7割が花粉対策事業(主伐)からの出材で占めているとのこと。また日頃、体験している間伐材の単価までわかりやすく説明いただいた。特に、市場価格から逆算すると育林費用どころか伐採搬出費も厳しい現実を伺った。(受講生改めて溜息)従来の経済行為からの出材は少なく、民需の木材取引の復活を願わざるを得ない。

 続いて、浜中材木店の製材工場の視察である。当社の土場の広さも広大であるにも関わらず、多摩木材センタ-を貯木場に使える好立地条件にあり、多摩地域の中でも屈指の経営者でもある。さらには、モデルハウスまで手がけられ、在来工法の若手職人の育成にも取り組まれている。製材はおろか6次産業化に向けた取り組みに感心した。
 







全体を通じ、自然素材である木材を工業製品化し利用する流れと、自然素材を在来工法で生かして利用する流れを感じた講座であった。今後、地球温暖化問題の中でどちらがどのように進化していくのか大変興味深い時代を迎えている。

「川下から川上を見上げる」
 
木原秋好
 
1011()は、育った木が市場を通して建築材となるまでをたどる初めての講座になりました。川上から川下へ下る間に多くの人の手がかかり、形を変えていく様子を見ることができ、貴重な経験になりました。

この日最後に見学したのは多摩の木をふんだんに使って大工さんが仕上げたモデルハウス、思わず住みたいという気持ちになる無垢の木の家でした。中を案内されてびっくりしたのは、1階から2階へ通した太い柱には縦に一筋「背割り」といわれる溝が彫られていたことです。時間が経つと木が乾いて割れるので、初めから割れる場所を作っておくのだと言います。しかも木は割れても弱くなるわけではない、粘りの強さは変わらないという説明を伺って伝統技術の深さを知りました。

川上へ一つ遡って、こうした木材を作り出す工程を訪ねました。製材所では大きな電動鋸で丸太を挽き角材や板を作りだしていました。挽いたばかりの板は濡れるくらいにしっとりと水を含んでいます。乾くと板の形が変わるので適度に乾燥させるとの解説を聞いて、ここでも木の性質を熟知することがポイントであることを知りました。

もう一つ川上に遡ります。原材料になる丸太は都内でただ一つの木材市場である多摩木材センターからも運ばれてきます。野球場ぐらいの広さの市場は、前日競りがあったばかりで、まだ樹皮がついたままのスギやヒノキの丸太が整然と積まれていました。同じスギでもよく見ると太さや節の数が違い、芯の赤いものや黒いものがあります。そうだ!樹木は11本が違った環境で育っており、鉄やコンクリートのように均一ではないのです。こうした違いを熟知していないと本当の樹木の価値を引き出せません。

日本は木の国と言われてきましたが、こうした樹木についての知識や関心があってのことです。森林を守るには、伝統的な技術や知恵が廃れないようもっと樹木のことを知らなければならないと思いました。

 
第2回森林ボランティア育成講座(H26..8.9永山ふれあいセンタ-&青梅の森にて)
        『間伐・道づくり・休憩所整備』 
                                                             7期生 林 和夫                         


昨日は中身の濃い講座ありがとうございました。
早速ですが、スパイスラックの木工の材料は、さわら::::椹ですね!
思っていたより、皆さん真剣に取り組んでおられることに感心いたしました。
ホームページも拝読いたしました。
青梅にもこんな団体があって、地道に活動を続けられていることに感心いたしました。


昨日の講座の感想以下感じたままに書きます。

(1)午前の部   講師のまとめられた森林保育保全:青梅の森に関してまずは、永山の奥の100haに及ぶ青梅の森の入手のいきさつは、40年青梅から離れておりましたので知りませんでした。正直びっくりでした。
しかしながら、せっかくの財産ですかうまく活用して行かなくてはいけません。そのためには、市全体、都全体、日本全体も視野に入れた地道な活動がいかに大切で困難なことであるか痛感いたしました。
         
森林保育保全の循環の破たんは言われれば解りますがほとんどの人が本質を知らないと思います。
戦後生まれの人達は“花粉の元凶は森林だ!”ぐらいの認識が一般的です。
現在の崩れたピラミッドの再構築は非常に困難な仕事です。
現在の便利な生活文化が続く限り、立て直しは個人の力では不可能です。
しかしながら、いろんな活動を通じて人の考えを変えていかなくてはならないと思います。

私が子供のころは、山一町歩伐採すれば大勢の家族を十分に養えるだけの価値と収入がありました。
高々50年のうちの日本高度成長の陰で山林は全くあてにされず、重荷の存在になってきてしまっている現実の中、補助金たよりの山林管理(?)になってしまっていることは全く残念でなりません。
講師の温厚な語り口の講義に、大変なる危機感と何とか少しでも改善して行こうとする熱意に感動いたしました。頑張りましょう!

(2)午後の作業
意識の変革はここから始まりますって感じでした。
私の父は現在住んでいる場所で昭和23年に戦地から戻ってから製材と伐採切り出し植林の仕事を始めました。
子供のころから、薪まるき、皮むき、植林、雪おこし、玉とり(毎木調査)等 いろんな仕事を手伝わされました。そのころを思い出すような作業に、なんとも懐かしい郷愁を感じました。
地道な作業を習得して行くことが森をもっと身近に感じる一歩だと思いました。
最後の道具の養生をキチンと皆さんにしてもらうことこれがとっても大切なことと当たり前のことですが感心しました。                                             ありがとうございました


(当日は、台風11号の影響で、午前中は座学と木工となりましたが、午後は計画していた間伐・道づくり・看板立て・休憩所整備と各班のチ-ムワ-ク力で短時間に大きな成果を得ることが出来ました。)